※※※サムネイル画像はイラストを含めて自作です※※※
※※※アニメFinal Season2 77話まで視聴していればネタバレはありません※※※
▼進撃の巨人をご存じない方へガビの説明(アニメ77話まで)ガビと言えば、進撃の巨人の中で「いかにして憎しみが連鎖するか」をよく体現したキャラクターではないでしょうか。(そうだっけ?と感じた方はぜひ上の説明をご一読ください)
タイトルに続く「その心はー」はまだおあずけで、もう少し一緒になぞかけの答えを考えてみてください。
「ぶつかりおじさん」は、「電車内無差別テロ」とも、「無差別放火」とも言い換えることが出来ます。
皆さんは実生活の中で、突然理不尽な攻撃を受けたことがどれくらいおありでしょうか?
私はまだ化粧も知らなかった頃、街を1人で歩いていて、絶対に彼の邪魔になんてならないガラガラの道で、すれ違う男性から「マンコ」と呼ばれたことがあります。
自分のペースで歩いていて追い抜いた男性から、「お前の後ろなんか歩きたくねぇよ!」と叫ばれたことがあります。
買い物中に遭った痴漢、ボランティア活動中にされた盗撮―――具体例を挙げればキリがありません。
これらを経験したのは全て私が10代後半の頃。家庭環境と精神状況が一番酷かった時期です。
そしてこちらでご紹介した通り、ヒューマニズムに目覚め、そのために邁進していた時期でした。
生みの親から死ねと言われながら殴られ、死ねるなら死にたいよ、でも誰かの役に立てたらいいな…そう思いながら、希死念慮を押し殺しつつ、将来誰かを助けられる人材になるべく勉学に励んでいました。
誰にも必要とされていない世の中で、まだ見ぬ誰かのためにという希望を持ち続けるのは簡単なことではありません。
いつもいつも「勉強なんかせず、今すぐ死んだほうがいいのではないか」という考えを自分で振り払って生きていたのです。「いつか役に立てるから、今日もごはんを食べる権利があるよ」と自分に言い聞かせるのはみじめでした。
そんなことを知る由もない男性たちが、通りかかっただけで―――つまり無差別テロ的に、わたしを性欲や攻撃欲の対象にしました。※性被害に関する詳細は無料では掲載しませんので、自身の中で比較的軽度な事例だけを書いています
痴漢なんて、位置関係的に、私の顔すらも見えていなかったはずです。
「ただそこに女の肉体があったから」
彼らは、私が虐待を受けて孤立無援であること、それでも誰かを助けられる人材になりたいこと、その人格も生い立ちも価値観も何一つ知らないし、興味すらなかったでしょう。
しかし私の努力は実を結び、高校に推薦入学し、TOEICで高得点を取り、大学でも基金を利用できる留学プログラムに選ばれ――
自らを追い詰めるために設定した厳しい資格目標などもクリアして、自分に自信を付けていき――
「あれ、なんでこんなに、身汚いオッサンどもから見下されているんだろう」
「絶対に私の方が世間にとって価値のある人材なのに、ゴミ共は何を勘違いしているんだろう」
このように考えるようになっていきました。
そして、道を歩いているとき、周囲の男性がいつ理不尽な攻撃をしかけてくるか常に警戒するうちに、周りを歩いている人すべてが「加害者予備軍/自分よりアタマが悪いのに攻撃しようとしてくる馬鹿な敵」に見えてきたのです。
そうなったらもう、男性全員を敵視する価値観の完成でした。(その頃はフェミニズムという単語すら知りませんでしたが…)
今まで自分を理不尽に見下し、性的に侮辱してきた男たちのことを思い出してしまう夜は、これまでのようにただ悲しんで悔し涙を流すのではなく、拷問にかける妄想をして心を満たすようになりました。
そして、もし次に攻撃されたら、絶対にこの妄想を実行してやると、脳内でシュミレーションしていたのです。
それだけでは済まず、近年の日本社会を脅かしている「無差別大量殺人」も、私の脳内に選択肢として存在していました。
現在の私はそのような価値観から解放され、当初の目的――人を救うという道から外れないよう生きています。傷つけられすぎて慣れたというか、「赦す」「諦める」とは少し違う強さを手に入れたのかな、と自己分析しています。
皆様とのお約束にて負の連鎖を断ち切る選択をしますと書いたのは、このためです。
Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさんからの攻撃が私を「悪魔」の価値観に染め上げたように、
Aさんに抑圧を与え続けた何者かが居た。
誰かが与えた苦しみが、Aさんを悪魔にして、私を悪魔にした。
ずっと量の減らないバケツリレーをやっているのではないでしょうか。
リレーに参加したいなんて思っていなくても、ある日いきなりバケツの汚水をぶっかけられ、
復讐のために自らもバケツを手に取る。
先に被害を受けたのだから、し返す権利くらいある。(属性が同じだけの第三者に)
蔑まれてきたのだから、自分だって誰かを侮蔑して良い。(まずは狙いやすい奴から)
富めるものに搾取されてきたのだから、これくらいの盗みは当然の報いだろう。(BLMに乗じた強盗)
ほら、世の中このような例ばかり毎日起こっていますね。
北海道で団体観光客がごった返す満員電車に慣れていたのに、上京したとたんぶつかりおじさんに遭いまくったことがフェミニズムを知るきっかけとなった私ですが、
ぶつかりおじさんのストレスを減らせば私も安全に通勤できる可能性が高くなる訳ですね。
量が変わらずに、むしろ増えていく可能性をもって伝播するのは憎しみだけではありません。
幸福だってそうです。1人の笑顔が3人を笑顔にし、3人の笑顔が10人を笑顔にする力があります。
幸せそうな誰かから幸福を奪っても、自分の幸福として所有することは出来ない。
ただ元の所有者が失ってしまった分が、そのまま世界の幸福の総量から減ってしまいます。
私は世界の幸福の総量を増やしていきたい。
願わくば皆がそれぞれ満足いく量の幸福を両腕に抱きかかえていてほしい。
そろそろネタバレしますが、タイトルのなぞかけの答えは「どちらも他者に憎しみを連鎖させているでしょう」。
自分を含め、誰もが、「自分自身が憎しみの連鎖に組み込まれ、新たなヘイトを生んでいないか」を気にかけ続ける必要がありますね。
軽い好奇心で、つい口をついた悪口だったとしても、言われた相手は既に社会的にとことん追い詰められている人かもしれません。
自分の一言が最後の一撃となって、無差別殺人に駆り立てるトリガーになるかもしれない。その無差別殺人は自分にとって一番大切な人の身に降りかかるかもしれない。
自分は相手のことを何も知らないという前提で生きていくほうが私は良いと思っています。
ではどうやったら憎しみの連鎖を止められるのでしょうか?
今すぐ誰にでも出来ることは、自分のところへやってきた憎しみのバケツから手を離す練習、だと思います。
我慢しろというわけではなくて、その汚い水をぶちまけるのではなく、「こんな汚水はこの世から駆逐してやる…いつか絶対に…」みたいに思いながら自分の心の燃料にし続ける感じですね。思い出してイライラしやすい人ほど持続可能なエネルギーになると思います(私はそうです)。芸術家でなくても昇華ってできると思うんです。
日常で感じたフラストレーションを、SNS上で顔の見えない第三者にぶつけている人は、それをやめる練習からですね。
そうは言っても、そんな簡単なことなら今頃よっぽど世界は平和になってるでしょ!
と、言われればそれもその通りで笑、その辺はまた進撃の巨人に絡めた記事の中で説明します。その記事では最終話までのネタバレを含んでしまうので、アニメ勢に配慮して今回はここまでです。
ぜひそちらの記事も楽しみにお待ちください!諌山先生はたびたびエゴサーチされるとのことなので、ぜひ先生に読んでほしくて大ボリュームの記事を書いています!