PTSDと人類の仕様とお気持ち(中東情勢を受けて)

メンタルヘルス

instagramでもTwitter(現X)でも何度か書いているが、最近のわたしはイスラエル・パレスチナの戦争状態に関して大きなショックを受けて凹んでいる。昨年「ウクライナ侵攻への怒り」という記事を書いていた頃と変わらず、何もできない無力な存在であることを感じさせられている。

戦争を止めるためにわたしに出来ることが無いのは事実である。それでもこれだけは実行したいということがあって、それは「被害を受けている方々の苦痛に寄り添う気持ちを表明する」ことである。寄り添う気持ちの表明?別に悪いものではないけど、何の役にも立たないよね。と思う人も多かろう。恐らく1年前までのわたしもそう思う1人だ。
それが、ことPTSDに関しては、役に立つのだ。それが1年以上の勉強で学んだ確実な知識の1つである。

2023年の第22回トラウマティック・ストレス学会。NCNP(国立精神・神経医療研究センター)の堀越先生は、「鬼は内、福は外」というタイトルの基調講演を行った。講演の内容を外部に漏らしてはいけないのでこれ以上は言えないのだが、このタイトルはPTSDの本質を表している。わたしは講演を聞きながら「わたしの心のうちを解説してくださっているのですか?」と感じて涙を流した。

事の大小をいったん置いておけば、ほとんどの人間はなんらかのトラウマ体験を持っている。わたしが関心を持っている(当事者である)性暴力と児童虐待以外にも、事故、病気、喪失、傷つきといった経験は世の中に溢れている。しかし当然のことながら、全員がPTSDになる訳ではない。PTSDに悩まされ、二次障害としての罹患しやすさが高いうつ病に悩まされ、被害の再演を繰り返し、負のループの渦中から抜け出そうともがいている人々とは何が違うのか。
最新の研究によれば、大きな理由は、本人が持っているリソースの少なさだ。リソースが少ない状態というのを分かりやすく言い換えると、「助けてくれるような人脈、知識、経験がないので、それらを持っている人に比べると、困った状況からの回復が容易でない」ということである。

PTSDや過去のトラウマ体験で現在も苦しんでいる方は、その体験を受けている最中や体験の後、孤独ではありませんでしたか。孤独なだけではなく、さらに追い打ちをかけてくる人は居ませんでしたか。わたしは学校での虐めでも、家庭での児童虐待でも、性暴力被害でも、必ず孤立無援の状態でしたし、加えて追い打ちをかけてくる人がいました。

(この後性被害・虐待のケースに触れるので、トリガーになりそうな方は読むのをおやめください)
(一瞬読者に話しかけるモードになってしまったので、一息つく。である口調に戻る。)

  

  

ある先生の話では、中学生の頃に母親に売春を強要された女性クライアントがいた。化粧をさせられ、女子中学生を買いたいという男の元まで母に送られて、車の中で行為をさせられた。帰宅後、金を母に手渡すと、母は軽く「おつかれ~」と言った。先生の話では、このクライアントにとって一番の喪失の瞬間は売春をさせられている最中ではなく、「おつかれ~」を言われたタイミングだったそうだ。

売春を強要された経験の無いわたしが言うのはおかしいかもしれないが、喪失のタイミングについて、とてもよく分かると感じた。もちろん売春させられてる瞬間だって胸が砕け散りそうなくらい辛い体験に違いない。でも、心をガラスのハートで可視化したら、全体にびっしりと大小のヒビが這っている致命的な状態と言えたかもしれない。母の「おつかれ~」は、割れそうでギシギシ言いながらなんとか繋がっているだけのガラスに対して、とどめの一発を打ち込み、粉々のガラス片に変えた。
自分の体験を思い出してもこんなことばかりだ。自分でも信じられないくらいの深い孤独。

堀越先生の「鬼は内、福は外」という表現に戻る。SNSを見ていれば分かる通り、世の中には、傷ついた人の傷口に塩を力いっぱい塗りたくることを趣味(または生業)にしている輩がうじゃうじゃいる。辛い体験をした人は、リソースがあれば回復の道に進めたかもしれないのに、現実には鬼の方から寄って来るばかりで、心の傷と孤独を深めていく。鬼は境界の内側に入ってきて、福そのものや福に手を伸ばす力を遠くへ押しやり、文字通り人の人生を奪っている。

PTSDでは、自分がこの世に存在し生活を送るうえでの全ての前提が奪われる。歩道の植え込みから性犯罪者が飛び出てくるかもしれないし、今向かいから歩いてきている歩行者が自分を襲うかもしれないというような、動物としては正しい危険予測を常に行っている。「普通」の人はそんなことは考えずに歩道を歩くことが出来る。安全である根拠などどこにも無いのに、勝手に安全だと思い込むのが、健全な人間の脳ミソだということになっている。(事実、動物として正しい危険予測を常に行っていると自律神経のバランスが取れなくなり、全身に困った症状が現れる。)

「本来は誰にでも起こりうる重大な危険を、他の個体は認識していない。経験した個体が注意喚起をすることで、種全体の安全確保に役立つ。」これがヒトにプログラムされた仕様だとわたしは感じている。性暴力も、児童虐待も、交通事故も、社会に向けて発信している被害者は「こんな思いを誰にもさせたくない(自分の件はもう取り戻せない過去だけど)」と口をそろえて言う。殺人事件で命じられた賠償金さえ払わずに逃げ続けられる日本の司法(※)において、存命のトラウマ体験被害者が発信することで得られるメリットなど一切無い。
※中村桜州受刑者による殺人事件をめぐる記事
かく言うわたしも、今年酷く泥酔した際に親しくも無い人に電話してしまい、「もうこんな思い誰にもさせたくないぃぃぃぃ!!!」と号泣絶叫したことがある。深夜1時、疑いようのない魂の叫びである。金目的だとかいう中傷をよくも行えるものだ。

人間は社会的な生き物である。集団で社会をつくることを生存戦略としているからこそ、他の動物と違って表情筋や大脳新皮質、情緒が発達してきた。暴力や支配はヒトの生存や社会の存続を脅かす。暴力や支配を受けた個体が「こんな危険な経験をした」と共有するのを社会が受け止めれば、被害者は「リソース」を得られて孤独ではなくなるし、社会は経験者しか知らない知見を得て健全な存続に活かしていける。これは誰も損しない、無駄のないサイクルのはずだ。
何しろ、「社会が受け止めれば」の意味するところは金銭的な補償ではなくとも、「そんなに酷いことが遭ったなんて。許せない。大変だったね」という言葉だけで十分なのだから。リソースは物理的な金銭そのものではなく人や社会や知識とのつながりだ。(今は資本主義社会だからつながりや回復の手段として金銭が必要になる場合がある。反対に、受容や謝罪の言葉も得られず、社会と断絶された状態で金が手に入ったとして何になる?外出も恐ろしい人に「その金で慰安旅行に行けば」とでも言うのか。)

発信に限らずとも多くの被害経験者は自らの力でサイクルを回し始めているのに、世の中にはサイクルを断ち切ろうと、被害者とあらゆるリソースの関係性を断ち切ろうとする悪の呪文が蔓延している。「被害者ぶるな」「本当につらい体験なら話せないはず」「自分に非があったからそういう目に遭ったのに、社会のせいにしている」
鬼でいたくないという人間の誇りがあるならば、呪文を唱えるのをやめなさい。
ヒビに覆われたガラスを粉々に砕く、とどめの一発を打ち込む行為は、知識や自覚の有無にかかわらず残虐だから。

家で児童虐待を受け、学校でいじめられ、出かけた先で性被害にあい、ほっとできる瞬間は通学時間しかなかった10代の頃の自分を思い出す。あの頃「どうしたの?」「大丈夫?」そう言ってくれる人間が1人でも居たら…と思う。保護してくれ、助けてくれ、そんな高望みしないから、気持ちの上で寄り添ってくれるだけで良かった。(その気持ちを利用されてグルーミングされ、小児性愛の成人男性から性被害を受けた。)
そんな「光」が1人いるだけで、世の中への認知が変わる。「こんなに理不尽に虐げられて当然の、希望のない世界」と、「本当に酷いけど、希望が無いわけではない世界」は全く違う。無理して手を差し伸べなくても良い。わたしを助けるためにあなたに不幸になってほしいわけじゃない。

わたしが10代だった頃と違って、今は世界中の多くの人たちがインターネットへのアクセスを持っている。わたしが戦争を止めることは出来ないが、辛い体験をした人達に寄り添う気持ちを発信することが出来る。これこそが、知識のない人こそ「何の役にも立たないお気持ち」とするところの、実際はリソースになると証明されたアクションなのである。辛い体験をした人達をこれ以上絶望に追いやらないために、孤独にしない。鬼を近づけない。臨床心理的に言えば「抱いてはいけない感情などない」のだが、それを表出させれば鬼になることもあるのだと広めていき、リソースとつながりやすい社会をつくっていく。それが日本からでも出来ることだ。

わたしは全ての戦争、侵略、残虐行為に反対します。
ハマスをはじめとする過激派組織のテロ行為を一切擁護しません。
イスラエルがガザの住民に行っている仕打ちを許しません。
この争いに乗じて金銭的利益を得ている事業者を軽蔑します。
戦地の方々が酷い目にあっていることに対して何もできないことを申し訳なく感じます。
あなたがたには幸福に生きる権利があるのに、このような酷い経験をされたことを思うと心が痛みます。

目の前にその1センテンスを伝えたい人がいると想像して書いたが、文章にするとただ恥ずかしさだけを感じるのが正直なところだ。これで自己満足できるほどの自己肯定感は無いし、このブログが誰の心にも響かなくて、この文章では世界を1ミリも良くできないかもしれない。
だけど本気で勉強した知識をもとに、正しいと考えられることを実行した。そんな自分であれば、中東ではなくとももっと身近な誰かにとっても、助けになりうることを実践できそうな気がする。

そういう人が世界中いろんなところに高密度で存在していれば、トラウマティックな経験を経たとしても、福を内側に取り入れやすい世界だと言えるのかな。鬼は外、福は内。

こめるちゃん
こめるちゃん

あなたに幸が訪れますように!

参考文献

・NCNP トラウマガイドライン
・児童期虐待を生き延びた人々の治療 中断された人生のための精神療法